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新羅真興王拓境碑

新羅真興王拓境碑

  • 住所 : 慶南昌寧郡昌寧邑橋上里 28-1
  • 指定番号 : 国宝第33号
  • 指定日 : 1962.12.30.
  • 時代 : 三国時代(真興王 22年: 561年)

元々火旺山の麓にあったものが、遠足に行った学生によって発見され、知られるようになりました。学界への報告は1914年2月7日、当時昌寧小学校の日本人校長である橋本良臧によって行われました。

その後、1924年に今の萬玉亭に移され保存されています。
一般に巡狩碑と呼ばれていますが、北漢山、黄草嶺、摩雲嶺にある巡狩碑のように巡狩管境という言葉がなく、ただ王が新たな占領地を治める内容と、それに係わる人々を列挙していたため、別途に拓境碑と称しています。

巡狩の起源は、中国の古代にまで遡ることができますが、中国の皇帝が自分の領土を見回し、そこで天神に祭祀を行なったと言われており、巡狩の記念として碑を立て始めたのは秦の始皇帝(BC.259~BC.210)からといいます。

この碑は自然岩石を利用し、蓋石や台石を使用しない三国時代の碑文の一般的な形式を持っており、片面を削った後に外面碑石の形象に沿って陰刻の線を刻んでいますが、右側上部は岩石が四面を成している関係から、一行ずつ低くした階段式になっています。

碑文は27行で、一行の字数は一定しておらず、最後の行は3字のみのものもありますが26字の行が最も多く、後半部は上から2行ごとに1字ずつ低くなっています。
碑文の内容は、巡狩の年時(辛巳年2月)、史蹟、随駕人物(随行員)の3部分となっており、人物の記録順序は属部、人名、職官、職位を表記した三国時代新羅碑文の一般的な形式に従っています。

書体は楷書体で字間隔は4㎝ほどとなっており、前部が摩滅し字画が不明な点があります。